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最高裁判所第三小法廷 昭和34年(オ)1258号 判決

上告人 北谷重剛

被上告人 奈良学芸大学長

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人戸毛亮蔵の上告理由第一点について。

論旨は、原判決が上告人は下敷の鉛筆書の一部を答案用紙に写した旨認定したのは、採証の法則に反すると主張する。しかし、原判決挙示の証拠によると原判示事実はこれを肯認できる。所論は、要するに、事実審裁判所の裁量に委ねられた証拠の取捨判断、事実認定を非難するに過ぎず、上告適法の理由に当らない。

同第二点について。

論旨は、本件退学処分は奈良学芸大学学則四一条一項四号によつてなされたものであり、原判決も学生の本分に反するものとしているけれども、要するに上告人の能力の問題であつて人格の問題ではないと主張する。しかし、原判決において認定した上告人の行為は、能力の問題もあるかも知れないが、学生としての本分に反することは勿論であつて、前示学則四一条一項四号にいわゆる学生としての本分に反したものと判示した原判決には所論の違法はない。

同第三点について。

論旨は、原判決における本件退学処分手続は慎重に行われ不公正はないとの判示を非難する。しかし、原判決において認定した事実によると、被上告人は上告人に対し十分に弁明の機会を与え、補導委員会、教授会で処分を慎重に検討した上で退学処分に付したことは明白であつて、原判決には所論の違法はない。所論は採用できない。

同第四点について。

論旨は、本件退学処分は苛酷である旨主張する。しかし、上告人の本件行為に対しいかなる処分をするかは学長たる被上告人の裁量に委ねられた事項であり、かつまた本件退学処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認めえないことは原判示に徴して明らかであるから、所論は採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋潔 島保 河村又介 垂水克己 石坂修一)

上告理由

原審判決は著しく事実を誤認せられる。従つて其れの判決理由に齟齬がある。即ち、

第一点原審は控訴人が昭和三十一年九月十八日被上告人を学長とする奈良学芸大学に於て微分積分学の受験中所携のセルロイド下敷(検第一号証の一、二)の鉛筆書の一部を答案(乙第三号証)第三問の記載に合致するものと判示せられる。そして其れの証左として検乙第一号証の一、二、乙第三号証と第一、二審での証人小川庄太郎、上田敏見、宮本陸治、原審での証人久保田勇夫の各証言、第一、二審での控訴本人訊問の結果の一部とを掲記せられる。然かし右検乙第一号証の一、二は単なるセルロイド製下敷であつて其れの表裏あるいは他の如何なる部分にも原審判示のやうに乙第三号証(答案)の第三問の記載の一部に合致するか、乙第五号証(解答)に不一致するかは判らない。唯だ証人小川庄太郎の証言中に右原審判示の趣旨に副ふかのやうな証言があるが、此の証言とて検乙第一号証の一、二に控訴人が手記したといふ全文を具体的に記憶し且つ之を陳述するものではない。単に抽象的な証言に過ぎない。夫れは同証言にもある通り右検乙第一号証の一、二セルロイド製下敷は同証人が控訴人から取上げ単に一瞥しただけのもので其の場で控訴人に還付し、其の後十日余も経過して再提出させた事に係る。而して其の時は既に何等の記載がなかつた。凡そ人間の智能では右セルロイド製下敷の少くとも片面にわたつて書かれたであろうと思われる記載を単に一見して記憶し且つ之を数ケ月経過した頃証言として明確に陳述出来ないのは実験則上明かである。故に同証人の証言を以つて全く白紙に等しい前示セルロイド製下敷に曽て記載されたといふ文章を確定することは実験則に反して許されない。因みに右下敷を控訴人の鉛筆記載と共に目撃したものは控訴人と前記小川証人との二人に過ぎず他の各証人に至つては単なる伝聞者に過ぎない。其れ等の各証言に信憑力の具はらない所以である。然り而して原審は「前叙証拠によつて答案の一部を予め鉛筆で下敷に書込んだ記載の一部をそのまま答案用紙に写して作成したものと認定し、この認定を覆して右下敷の記載が当日の試験と無関係のものであり其の記載の総てが前記答案の記載のどの部分にも一致せず控訴人が右下敷の記載のどの部分をも答案紙に写したものでないとの控訴人主張事実を認めうべき証拠なく」云々と判示せられる。然かし乍ら控訴人が提出し被控訴人亦これの成立を認める甲第五号証の「北谷重剛学生に関する聴取書」と題する本件大学側作成の書面によると本訴事件の翌日控訴人が右大学当局に対して陳述したのは右答案には自分の覚えて来たことを書いた。下書を写したのではない。下敷の上に書いてあつたこととは違ふ事だ云々とあつて完全に控訴人の主張を裏付ける。原審は此の甲第五号証の内容を措信せられないなら格別却つて原判示のやうにこれを採証の用に供される以上故ら控訴人不利益のため「控訴人主張事実を認め得べき証拠なく」云々と押しきられるのは採証の法則にも違反し事実認定の齟齬でもある。

第二点次に原審は「控訴人は右答案の一部を、その出題に対する正解も解らぬまゝに予め鉛筆で下敷に書込んだ記載の一部をそのまゝ答案用紙に写して作成していたものと認めべく」云々と認定し、「叙上認定にかかる控訴人の所為が被控訴人主張の如く不正受験の所為であること勿論であり成立に争のない乙第四号証により認め得べき同大学学則第四一条第一項第四号いわゆる学生としての本文に反するものであること勿論であつて」云々と結論せられる。つまり原審は予め記載してあつた下敷の記載を其の侭答案用紙に写して作成していた控訴人の行為を非難しこれを以つて学生の本分に反するものとせられる。而して原審は其れ迄に右答案の記載は当日の試験問題に対する解答とは全く異ることを判定せられるから前示非難は下敷の記載を其の侭答案用紙に写した点に係る。然かし凡そカンニング(不正受験)とは当日出題の蓋然性ある事項を予て用意したものに記載しこれを秘かに転載し、或いは他人の答案や参考書類を俯窺してこれを盗用する行為であつて、原審認定のやうに「母から白紙答案を出すことなく、何でもよいから書くようにと予て注意せられていたので下敷を写すことを自分のみで考えた」場合、そして其の下書記載が「当日の出題の解答とは全く異るものであつた」と判示せられる以上其れは控訴人の能力の問題であつて直ちに学生の本分に反するものではない。此の場合は乙第四号証(学則)第四一条第一項第二号所謂学力劣等で成業の見込がないとして審議せられるなら格別、これを原審のやうに同学則第四一条第一項第四号の所謂学生としての本分に反した者として肯認せられるのは理由が備はらない。右学則は成業の見込みのない者(能力問題)と学生の本分に反する者(人格の問題)とを明かに区別しているからである

第三点次に原審では「昭和三十一年九月十八日本件不正受験があつた同月二十四日、二十六日、二十九日の三回にわたり教務補導委員会を開催し同委員会が右不正受験の事実を肯認して作成した原案を更らに教授会に諮つた上被控訴人において本件退学処分を為すに至つたのであるが、その間前記小川教授から詳細事情を聴取する反面同大学学生部長宮本陸治において学生課長上山敏見、及び補導教官久保田勇夫立会の下に控訴人から事情を聴いて聴取書(甲第五号証)を作成して控訴人の署名を得、更らに右補導委員会にも被控訴人の出席と意見の陳述を許し又前記下敷をも提出せしめる等充分の調査をした上叙上控訴人の行状に照らして之を退学せしめるのが相当であるとして本件処分をしたものである」旨認定し、この処分手続に慎重を欠いた不公正はないと判定せられる。然かし原審の謂ふ教務補導委員会が本件不正受験の事実を肯認して作成した原案を教授会に諮つたからといつて、或いは小川助教授から詳細事情を聴いたからと言つて直ちに本件退学処分が正当とはならない。何となれば本件不正受験の事実の有無を知るものは小川助教授だけであつて同人の報告謂はば摘発者の言だけで事実を判定した所に不公正を免れない。殊とに原審が被控訴人の審理叮重を賞讃するかに見える控訴人の聴取書(甲第五号証)、其の他補導委員会に於ける控訴人の陳述たるや悉く不正受験の事実否定に終始したものであり、又下敷にしても前叙のやうに何の記載も残らない普通のものであつて何等事実の証明とはならず却つて不正受験の不存在を思はせる。斯様に形式的手続のみでたつた一人の摘発者の言に従い事実を判定した被控訴人の行為に対し原審も亦同調するかのように判示せられるのは理由が備はらない。

第四点次に原審は被控訴人の本件退学処分は苛酷に過ぎない旨判示せられる。然かし本件不正事実其のものに既に疑があり、仮りに不正事実があつても其の動機たるや原判示のやうに控訴人は母の忠告に従い単に白紙答案を避けるだけの目的でこれによつて試験合格を目的とせず其の心情憫諒すべきものが多い。斯様な控訴人を退学といふ重い処分に附することは苛酷そのものである。従来他の大学では其の学長を殴打傷害せしめ刑事問題を惹起した学生に対してすら其の処分は寛大であつた。復学を許された事例すらある。殊とに本件奈良学芸大学の学生部長宮本陸治は控訴人の本件カンニング問題発生し懲戒問題擡頭の際逸早く控訴人に他の私立大学への転校を勧めた。この事実は同人の第一、二審の証言によつても窺知出来る。斯様に被控訴人の大学に於て退学処分に値する者は他の大学に於ても亦同様でもあらねばならぬ。これは学校教育法が公私の大学に差別を与えない所から当然である。故に右宮本学生部長の控訴人に対する転学の勧めは、未だ控訴人が学生として進学に適することを認める。斯様な学生たる控訴人に些少の事を以つて退学処分に附し一挙に控訴人の前途を奪ふことは明かに苛酷であつて被控訴人の学長としての裁量権を誤つた違法行為である。原審は之を看過し被控訴人の処分を是認したのは学校教育法乃至は被控訴人の属する大学の学則を誤つて解釈せられたものである。 以上

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